福岡地方裁判所 平成2年(ヨ)107号 決定 1990年6月08日
債権者
前田運
右代理人弁護士
梶原恒夫
同
小澤清實
同
山本一行
同
井上道夫
同
小島肇
同
椛島敏雅
同
田中久敏
同
田中利美
同
幸田雅弘
同
平田広志
同
小宮和彦
同
小林洋二
債務者
博多第一交通株式会社
右代表者代表取締役
黒土始
右代理人弁護士
中野昌治
同
合山純篤
主文
一 債務者は、債権者に対し、平成二年六月から同三年五月まで毎月一五日限り金二四万九五〇九円を仮に支払え。
二 債権者のその余の申請を却下する。
三 申請費用は債務者の負担とする。
理由
一 申請の趣旨及び理由の要旨
債権者は、「1 債権者が、債務者に対し、雇用契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。2 債務者は、債権者に対し、平成二年三月から本案判決確定まで毎月一五日限り、金二四万九五〇九円を仮に支払え。」との裁判を求め、被保全権利として、債務者が平成二年二月一三日付でした債権者に対する懲戒解雇処分(以下、「本件解雇」という。)は、何ら解雇すべき理由が存在しないにもかかわらず、債権者の所属する労働組合を嫌悪している債務者が、組合団結の中心となっている債権者を排除してその団結を崩すためになしたもので、不当労働行為意思を決定的動機とし、解雇権を濫用したものであるから、無効である、と述べ、かつ、保全の必要性として、債権者は、老母及び妻子を抱えながら債務者の従業員として稼動し、平成元年一〇月から同年一二月までの間、一か月当り金二四万九五〇九円の支払を受けて生計を立てていたものであって、右金員の支払を受けないと生活できないと述べた。
二 債務者の答弁及び主張の要旨
債務者は、「本件申請を却下する。申請費用は債権者の負担とする。」との裁判を求め、その主張として、要するに、債権者の所属する労働組合は、債務者を「殴る蹴るの暴力タクシー」とか、債務者の専務取締役衛藤隆義(以下、「衛藤」という。)につき「専務は前科十八犯とイレズミが売り物で、前歴は『ヤクザ』」などと虚偽の事実を記載したビラを福岡市内や北九州市、別府市、大分市にも配布して債務者の信用や会社幹部の名誉を違法に侵害し、債務者の営業活動にも多大な影響を及ぼしたが、その際、債権者は所属労働組合の執行委員長として中心的役割を果していたのであるから、債務者は、債権者の右行為が就業規則八六条一五号に当るものとして懲戒解雇にしたものであり、同解雇は不当労働行為でも解雇権の濫用でもないと述べた。
三 当裁判所の判断
1 まず、被保全権利の存否(本件解雇の効力)について判断するに、当事者間に争いのない事実、本件疎明資料及び審尋の結果によれば、一応次の事実を認めることができる。
<1> 債務者は、昭和二七年に設立された相互タクシー株式会社が、昭和六一年三月九日、第一通産株式会社によって買収され、その社名を変更したものであって、右第一通産株式会社を中心とする第一通産グループは、西日本各地のタクシー会社を買収して経営規模を拡大してきたもので、現在、その傘下の会社数は四二社に及び、そのタクシー営業部門は第一交通グループを構成しているが、買収により右第一交通グループに編入されたタクシー会社では、労働組合に対する会社側の姿勢が非常に厳しいものに変化するなどして労使紛争が多発し、中には労働組合が崩壊した例もある。
<2> 債務者においても、買収により右第一交通グループに編入された昭和六一年三月九日以降、会社幹部が、「新会社は組合を認めない。組合員は全員退職して新採用とする。」などと公言して、その従業員で組織する相互筑紫労働組合(以下「組合」という。)の当時の執行委員長には金五〇〇万円を、書記長には金一〇〇〇万円を支払うなど退職慰労金の増額支給を条件にして組合員の退職を迫り、その結果同年五月三一日までに退職した組合員の数は約八五名に上り、債務者に残った組合員は約四〇名に減少したが、債務者は、残存組合員に対しても、出勤停止処分などをしたため、労使の対立が激化し、組合は、当裁判所や福岡県地方労働委員会に対してかなりの件数の救済を申し立てた。
<3> このような労使対立が激化する中、平成二年一月上旬、衛藤が債務者の専務取締役に就任した。衛藤が着任する以前は、運転手は、就業時間前に出勤して始業点検を済ませた上、約一〇分から一五分間の点呼を受けて乗務についていたが、衛藤が着任した後は、会社側の職制などが、非組合員に対しては就業時間前の始業点検を黙認したり、点呼や社歌を省略して乗務につくことを認めているのに、組合員に対しては、就業時間前の始業点検を禁止したほか、点呼の際に、会社のスローガンを言わせたり社歌を三番まで歌わせたり感想文を書かせる等するため、点呼に要する時間が従前の二~三倍になることもあり、また、点検整備と称して車磨きを三時間以上も続けてさせられたりして、組合員の乗務時間が減少し、運賃収入ひいては能率給が激減する例も生じている。
<4> 衛藤ら債務者の職制らは、平成二年一月中旬から下旬にかけて、組合員の吉岡達雄に対し、約三時間も車の手入れなどをさせた後、「早くすっきりしてここを退職しろ。次の就職先は世話してやる。」などと言いつつ、失業保険による給付額の計算まで示して退職を迫ったり、組合員の森下佳男に対しても、同様の作業を命じた上、「組合をやめろ。」「会社を止めろ。」などと迫ったほか、組合員の債権者、橋村末光及び水崎嘉則と会社職制との間では、会社職制の同人らに対する暴行を巡って互いに告訴するという騒ぎを起こし、労使間の紛争はますます激しさを増すこととなった。
<5> 他方、債権者は、昭和三九年四月から平成二年二月一三日に懲戒解雇されるまで、債務者の従業員であり、右解雇当時は、組合の執行委員長の地位にあった。
<6> 右のような経緯の中で、組合は、衛藤ほかの会社側職制によって組合の組織が切り崩されてしまうとの危機感を抱き、上部団体である自交総連福岡地方連合会(以下「自交総連」という。)とも協議の上、平成二年二月七日から同月一一日にかけて、福岡市、北九州市、別府市、大分市で、「殴る蹴るの暴力タクシー博多第一交通」、「黒土社長みずから指示、実行班は前科十八犯の専務」、「専務の前歴は『ヤ・ク・ザ』、『本業は組合潰し』いきなり突きとばすなどして三人重傷」、「寒風の中でタコ部屋同然のゴウモン、『第一交通に組合はいらん』と公言」、「『衛藤(専務)、骨は俺が拾う』組合潰しを叱咤する黒土社長」、「劣悪な労働条件でボロ儲け、その結果、タクシー事故激発」等と記載がなされているビラを相当枚数配布したが、右ビラの原稿は、自交総連の蒲池書記長が起案したものである。
<7> 右ビラ配布のうち平成二年二月七日に博多駅裏で行なわれたビラ配布には債権者も参加していたが、このビラ配布自体は、組合の上部団体である自交総連の統一行動の一環としてなされたもので、組合ひいては債権者等が中心となって実施されたものではなく、また、同月一一日になされた債務者事務所周辺や弥永団地でのビラ配布には債権者は参加していない。
<8> 右のビラに記載されていた内容のうち、「専務の前歴は『ヤ・ク・ザ』、『本業は組合潰し』」という項目は、衛藤が組合書記長の生駒や副委員長の水崎に対して自ら使った言葉に基づいて書かれたものであり、また、「いきなり突きとばすなどして三人重傷」という項目は、平成二年一月二三日に債務者横手営業所の構内で発生した衛藤ら会社職制の債権者、橋村末光及び水崎嘉則に対する前記暴行事件に基づいて組合側の理解を記載したものであり、更に、「寒風の中でタコ部屋同然のゴウモン、『第一交通に組合はいらん』と公言」との項目は、昭和六一年三月に債務者の前身である相互タクシーが第一交通によって買収されて以来、社長の黒土や衛藤ら会社職制が組合員に対して何度となく繰り返し言ってきたことに基づくものであって、このような記載は、結果的に真実であったか否かはともかく、組合にとってはあながち根拠のないことではなかった。
<9> 債務者は、平成二年二月一三日、組合の右ビラ配布により債務者の信用や会社幹部の名誉等が侵害され、会社の営業活動に多大の悪影響を及ぼしたとして、債務者の就業規則八六条一五号により、債権者を懲戒解雇に処し、以後、債権者の就労を拒否し、賃金の支払をしていない。
<10> 債務者の従業員の中には、右のビラ配布の影響として、タクシーに乗車した客から「第一交通には暴力団がいるのか。」と尋ねられたことがあると言う者や、ビラ配布以来、債務者によるタクシー運転手の募集に応じる者が減少したとの感想を有する者も存在するようであるが、そのことによって直ちに債務者に具体的な営業上の損害が生じていると断定することはできず、ビラ配布によってどのような営業上の損害がどの程度生じたのかを個別具体的に明らかにしうる的確な資料はない。
<11> 債務者の従業員のうち組合に所属する者の数は、前記<2>のとおり、第一交通グループに買収される前には一二〇余名であったのが、右買収後の昭和六一年五月末日頃は大幅に減少して約四〇名程度になり、その後も減少を続け、平成二年四月二七日には、債務者の退職勧奨や衛藤ら会社職制のいやがらせ等により組合員一五名が債務者を退職し、現在残っている組合員はわずか五名にすぎない。
2 右に一応認定した事実によれば、本件ビラの内容に不適切もしくは不穏当な箇所が存し、その程度はともかく、このようなビラの配布によって、衛藤等の名誉感情が害されたり、債務者の社会的イメージが低下させられて債務者の営業活動に何らかの支障が生じた可能性を全く否定してしまうことはできず、このようなビラの配布行為が正常な組合活動の範囲を多少なりとも逸脱しているのではないかとの疑念もないわけではない。
しかしながら、右に認定の諸事実を総合的に勘案して本件紛争の全経緯を観てみると、債務者の経営陣が第一交通グループに代わって以来の労使紛争により、債権者の所属する組合がほとんど壊滅的状態に陥っていることは明らかであり、債務者と組合間の一連の労使紛争は、主に債務者側の組合員に対する強引かつ執拗ないやがらせや脱退工作に端を発するものであること、また、本件で問題となっている平成二年二月のビラの配布は、衛藤を中心とする債務者の幹部による組合の切り崩しに対して組合の組織を防衛することを目的として行なわれたものであって、その動機において酌むべきものであること、ビラに掲載された内容は、基本的には、黒土や衛藤など会社幹部らの組合員に対するそれまでの言動や、会社側と組合側との衝突の過程で起きた具体的な事件などを前提として記載されたものであって、組合や組合の上部団体である自交総連にとってはあながち根拠のないものではなかったこと、そして、本件ビラの原稿は、自交総連の書記長蒲池が起案したもので、ビラの配布についても自交総連が中心的役割を果たしていて、必ずしも債権者が指導的役割を果していた訳ではないこと、しかも、本件ビラの配布による債務者の具体的な不利益の内容や程度は必ずしも明らかではないこと等の事実に鑑みれば、本件ビラの配布を理由としてなされた本件解雇は、使用者に許された懲戒権行使の範囲を著しく逸脱したものというべきであり、解雇権の濫用と判断されるから、債務者が債権者に対してした本件解雇は無効というべきである。
よって、債権者主張の被保全権利は、これを認めることができる。
3 次に、保全の必要性について判断する。
本件疎明資料及び審尋の結果によれば、債権者は債務者からの賃金を唯一の生活の糧としていた労働者であること、債権者には、妻、子供二人及び母親(八四歳)がおり、長男(二八歳)は月一五万円の収入があるが、債権者の家庭に入れるほどの余裕はなく、次男(二四歳)は足が悪いために働くことができず、妻は、平成元年一一月に勤め先を退職し、退職金として約七〇万円を受領したが、今ではほとんど残存していないこと、現在、生活費として二七万円程度が必要であるが、収入としては妻の失業保険があるのみで、それも打切の時期に来ていること、債権者が平成元年一〇月から同年一二月までの間に債務者から受けていた平均賃金は一か月金二四万九五〇九円であること、以上の事実が一応認められ、これらの事実によれば、債権者に仮払を受けさせる必要性を認めることができ、その額は右平均賃金の額をもって相当と認められるところ、現時点において、本件審尋の終了時である本年五月までの賃金相当額についてまで債権者に仮払を受けさせなければならない特段の必要性は認められず、また、将来における事情変更の可能性を考慮すると、さしあたり審尋の終了した月の翌月である平成二年六月から平成三年五月までの一年間の範囲で、毎月一五日限り、右金額の仮払を命じるのが相当である。
4 なお、債権者は、債務者に対して雇用契約上の地位を有することを仮に定める旨の仮処分をも求めているが、債権者において右賃金仮払に加えて地位保全をも必要とする特段の事情が存することについての疎明はなく、右地位保全の仮処分については、その必要性が認められない。
5 よって、本件仮処分申請は、主文第一項の限度で理由があるから保証を立てさせないでこれを認容することとし、その余の申請については、保全の必要性につき疎明がないこととなり、事案の性質上保証をもってこれに代えることも相当でないから却下することとし、申請費用の負担につき民訴法八九条、九二条但書を適用して、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 堂薗守正 裁判官 須藤典明 裁判官 一木泰造)